代償と結果の法則ブログ

こんにちは。
報道された情報や、出版された本の内容をもとに、自分の考察を交え、未来予測や、提言を行うブログです。

2016年 TBSドラマ「逃げ恥」 は何故、高視聴率を誇ったか。

2016年 TBSドラマ「逃げ恥」は何故、高視聴率を誇ったか。


このドラマは、原作は講談社の漫画にあるようだが、高視聴率を獲得するための、様々な仕掛けと、ドラマ制作者たちの思いが目に付いたので、ブログにアップしてみた。
小生、普段はドラマは、あまり観ないのだが、今回のこのドラマは、実は第一回目から、毎回欠かさず、(録画を含め)観ていた。
第1回目を観ようと思った切っ掛けは、「新垣結衣」のファンだからだ。
第1回目以降を観た理由は、第1回目が面白かったから。
初めは、浅い恋愛ドラマだろうけど、新垣結衣のファンだから、我慢できるところまで、観てみようと思い、チャンネルを合わせたところ、心は「社会派のドラマ」だという認識に変わった。
政治的なNEWSの取り扱いに関しては、売国・侮国的な放送局だという認識は変わらないが、ドラマを最後まで観た者の感想として、どうすれば、視聴率を取れるかわかっている(長年のノウハウと、共感ポイントの把握)なと感じた。
さすが、「ドラマのTBS」と呼ばれるだけのことは、あると思った。
どのドラマも制作する時は、ヒットを狙うものだと思うが、このドラマは特に、念入りに計算し尽して獲得したヒットだったのではないかと思う。


気付いた点を11項目にしてみました。
①テーマ設定
②キャスト(かわいさ・AV)
③逃げ恥、恋ダンス(ブランディング戦略・一体感)小学校の教育プログラム
④従来の常識を超えた、一生懸命さ(NHK真田丸の主題歌・安住紳一郎の恋ダンス・乙葉登場等)
⑤少数派に対する様々な気遣い(リストラ・結婚式・ゲイ・入籍の有無)
⑥若い男女が持つ、「若さ」という価値観の過剰さに対する警鐘 伝統的諭し(行く道)
⑦結婚に関しての父母の関与のあり方(逃げ道は、あり)
⑧心の中の台詞の上手な使用方法 (心を閉ざしたら、ノックし続ける)
⑨火曜日のハグ  (当然起こりうる、些細な喧嘩をした時の保険)
⑩「小賢しさ」への対処 (小賢しくなって当り前の現代と、相手へのリスペクト)
⑪「好きの搾取」への警鐘 (当たり前さ・自分は消費されず、相手を消費する考え方。対極に感謝)



①テーマ設定 について。
大人にとってのモメ事・悩み事は、いくつかあるが、例えば「お金」のトラブルもあるが、日本で普通の生活をしている者にとっては、努力次第で、幾分和らぐ場合もあるし、
お金のトラブルの場合の詳細は様々なので、共感を得にくい。
「恋愛」は、当然1つのテーマであるが、本当の大人には、その先がある。
そう、「結婚」だ。近年、欧米のように離婚率の上昇がみられ、もはや社会問題である。
結婚前のカップルにとっても、婚姻中の夫婦にとっても、離婚後の人にとっても、「結婚」「離婚」は、人生における重大事である。
故に、この「結婚」というテーマは、人を引き付けるにおいて、まず、第一関門クリア。


次に、「契約結婚」という、提案を出してきた。
この既存の枠を打破しようとする試みが、面白い。


実は、小生も過去に、「結婚」という形態の経済的合理性について、考えてみたことがあった。
つまり、経済的に考えて、「結婚」は得か、損か ということである。


現実には存在するが、このドラマの中で、出てこなかったポイントが2つある。
それは、法律的見解と、SEX についてである。
平匡氏は、「契約結婚」の契約書なるものを作成したが、実際には、以下の法律的見解に基く「事実婚」について2人が合意をするかどうかで、大きく契約上の優位バランスが変化する。
また、ドラマ後半で、2人は性交渉に至る説明がなされるが、現実に、独身の健康な男性が、「結婚」に関する経済的合理性を考える時には、愛情行為でもあるが、生理現象でもある性行為をどうするかという問題も、本来ならば併せて考えるべき問題だと思慮する。


法律的見解とは、「事実婚」(内縁関係)についての法律的解釈の説明が、ドラマ上ではなかった。


一度、内縁関係を築くと、法律上、結婚した夫婦と同じような権利義務が発生することになり、例えば内縁中には扶養義務や貞操義務が、離縁時には財産分与請求や慰謝料請求などが可能となります。反面、婚姻した夫婦と違うのは、氏の変更がないこと、相続権がないこと、などです。


そこで同棲中の彼女なのか、それとも内縁の妻なのかの判断基準が問題になってきます。最近では、お役所ですら、男女が単にルームシェアをしているだけなのに内縁関係にあると認定し、シングルマザーの児童手当関連の給付金をカットするといった問題まで生じています。


実は、内縁が成立するための要件は、たった2つしかありません。それは、①当事者に婚姻の意思が認められること(当事者2人が、いつかは、籍を入れるつもりであると認識していること)、かつ、②共同生活をしていること、です。具体的には、①については、婚約をしていたり、認知した子供が存在している場合など、②については、同居していたり、家計が同一である場合などがあてはまります。




また、常識の話で恐縮ですが、
婚姻した夫婦が離婚をする場合、婚姻中に夫婦で築いてきた財産は財産分与により清算することになります。
内縁関係解消による不動産の財産分与/普通の離婚との違い



つまり、ドラマ上では、「契約結婚」というテーマで物語が進行していきますが、上記のように、
例えば、現実生活において、男女2人の中で、口約束で「契約結婚」をしようと合意し、書面を交わさなかった(証拠となるべきものがなかった)場合、お互いの両親や、会社の同僚に結婚したと告知し、同居しているのであれば、法律的には、事実婚という、認定がされることが高いということです。


もちろん、上記のケースが、わざわざ行われる場合は、例えば、親が結婚しろしろと煩いが、当人にその気がなく、また、会社上の、信用という面からも、出世に影響するなどの理由で、「結婚」という形が必要という場合もあるかもしれません。


「契約結婚」の場合、当事者2人がどこまで、法律を知っていて、また、実際の運用(意思表示の形)をどうするかによって変わってきますが、


お互い、法律をきちんと知っていて、事実婚にならないようにした場合は、


男性側からすると、家事はしてもらう。その家事労働の対価として報酬を払う。同居する事によって、家賃負担等の軽減が図れる。その分、一部プライベートが侵される。
SEXはしない。代わりに、事実婚でないので、契約結婚を解除した時に、上記サイトにあるような、財産分与請求や、慰謝料請求をされることがない。


男性にとっての関心事は、家事とSEXと、別れた時の財産分与である。
家事労働の対価は、問題にはならないと思う。何故なら、普通の結婚をした場合(専業主婦の場合)、当然妻の生活費を拠出するし、含めるか含めないかは知らないが、服代や、旅行代などの、その他費用の拠出もする。また、普通の結婚ならば、結婚後に2人で築いた財産は、離婚時に財産分与の対象となるので、契約結婚ならば、その分は算入されない。それを総合的に計算すると、可愛いい娘が、機嫌良く、質の高い家事全般を最低賃金程度の予算でしてくれるのならば、安いものではないかと思う。
また、「契約」であれば、娘(契約結婚の相手)を解雇・契約解除しやすいのである。
自分(雇用主)に不都合が生じれば、契約に則り、契約解除をし、次の娘に変更できる。


そして、SEXについてであるが、仮に、普通の結婚をして離婚に至った場合に支払う財産分与の額があるとするならば、契約結婚では、財産分与をしなくて良いので、その予算分の範囲内で、SEXに関する拠出をすれば、生理学的に問題はない。
良いか悪いかは別として、法律上、独身なので、(重なる重ならないは道徳上の問題である)プロを含め、色々な人と、合法的にすることができる。(当然、素人人妻は除く)


よって、この場合、事実婚にならない契約結婚をした場合、男性は、私の判断では、経済的合理性があると、認められる。(あくまで、経済的な観点から論じただけの話)


ただ、男性が、どうしても、特定の女性を取り込みたい、法律的に自分の配偶者にしたいと考えた場合や、子供がほしいと思った場合は、この選択は無いだろう。


次に、上記の条件の時の、女性側の場合。
事実婚でないので、財産分与請求や、慰謝料請求は出来ない。
外での仕事の代わりに家事全般をプロとして行い、その労働対価を報酬として受け取る。
保険も発生し、雇用主や契約次第では、昇給や、ボーナスの可能性もあるだろう。
退職金に関しては、雇用主は、あくまでもビジネスとして、経済的利益の観点から、契約しているので、(退職金を多く支払うのであれば、財産分与と名前が違うだけで大差なくなってしまう。退職金の部分を強く押し過ぎると、契約破棄や、契約解除の憂き目に合う可能性が高い)恐らく、退職金は高くは望めないだろう。


その分、日常は、普通の結婚をしている主婦に比べ、自由になるお金が多く、また、ストレスのかかる外での仕事に比べ、比較的ストレスがかかりにくい。
また、家賃等も独り暮らしよりも、経費節減になる。一部、プライベートの浸食あり。
そして、SEXをしないので(法律的な貞操義務がないため)、ストレスがかからない。当然、契約結婚の相手(同居人)とは違う男性と、恋愛に至っても可。


見てみると、日常は、女性側にとっても、こちらを選択する人もあり得る話のように思えるが、問題は、年をとってからだ。
年をとってから、契約解除されることも、当然あり得る訳で、
そうなると、次の契約結婚(仕事先探し)をするのも難しくなり、また、退職金も財産分与もない。その頃に、普通の結婚をしようと思っても、これまた難しくなる。
まあ、現実には、現代日本も、将来の日本も、バツありの独身男性は数多くいるだろうから、条件を落としさえすれば、普通の結婚も出来るとは思うが・・。



「事実婚」にならない「契約結婚」をした場合の、経済的合理性について、
小生の結論は、総合的に考えて、
男性側には、メリット(得)があるが、女性側にはデメリット(損)である。


ということになった。
経済的優位性があるということに関して、
男性が高齢になって、例えば熟年離婚という話になった時に、普通の結婚では、財産分与され、資産を減らし、その上で、面倒を見てくれていた妻がいなくなったとなっては、最悪である。しかし、契約結婚であれば、突発的な資産目減りの可能性がない上、老いが発生した時に、その資産を使って、自己防衛(ヘルパーを雇用したり、施設入所)することができる。


では、女性は、どうしたら良いのか。


もし、私が女性なら、
一つは、他人依存せず、自立の道を歩むケース。家事での労働対価での報酬では、(小生の考えでは)退職金が見込めないので、退職金がまあまあ貰える職業に頑張って就く。
また、これは男女共通だが、若い時から、年金に相当するような(個人年金などの)保険をこつこつと掛けておく。
そして、我がブログをご覧になって頂いているので、おわかりでしょうが、投資スキルを努力して身に付ける。


二つ目に、事実結ではない、普通の結婚をするケース。
普通の結婚をする理由は、法律的保護があるから。
(もし専業主婦なら)相手の男性が、結婚後の共同財産を稼いでくるので、(法律的には、その半分が自分のものなので)出来るだけ、将来性のある、経済的資力のある男性を選ぶ。(決して、愛情や人格よりも、経済的価値で結婚相手を選ぶべしと言っている訳ではない)


そうすれば、いざ最悪のケース(離婚)が出来した場合でも、ある程度の結婚生活の期間があれば、それ相応の財産分与により、一部報われる。


現代のような、ジェンダーフリー・男女同権・女性の社会進出が話題となる世の中では、こう言うしかないのかな。


なかなかに難しい問題なので、良い悪いは、小生は勉強中のため、何とも言えないが、
一つ言えることは、女性の社会進出が進めば進む程、離婚率や晩婚化は、残念ながら今のところ上昇しているのだろうなとは、思う。


理由は、またまた、常識を述べて恐縮だが、結婚すると、「子育て」という流れになることが多いので、育児休暇等が完備されていない企業などに勤めると、結婚を躊躇う女性が増え、晩婚化・少子化が進むことも一因だろう。


また、女性が稼げば、男性に無理に食べさせて貰わなくても良いという心理が働くからだ。(女性が悪いと言っている訳ではない。その心理が働くのは自然なことだと思う)


専業主婦でも、女性に稼ぐ力があれば、平易な言い方をすれば、嫌な気持ちのまま、一緒にいることはないわ。と、離婚への気持ちが高まった時に、現実化しやすいし、
共働きならば、当然、誰かが家事をしなければならないので、夫婦のストレスは高まる。
また、共働きでも、家事代行を雇えば、費用が発生するので、共働きの経済的利益は、減少する(外で働くことの、やりがい等はあると思うが。)


妻が働くことを選んだ夫婦のうちの夫は、(あえて、妻が働くことを許可した夫は、などと言う上からの物言いをしていない)、家事も一部分担ではなく、夫と妻の収入額に関係なく2等分の分担をするべきだと考える。理由は、じゃあ、妻の収入が多いと、夫は家事を余分に多くするのかとなるし、家事とは実は、収入という価値基準の同線上にあるものではなく、実は、家族への愛情表現のひとつである。
だから、家事は、本当は、単なる「労働」ではない行為なのではないかと思う。
よって、2等分にしないならば、収入の多さよりも、家にいる時間の比例で、家事を分担すべきだと、考える。
また、妻が働くのであれば、夫の意識は、もし旧習の保守(伝統)思想を持っているならば、これを打破しなければならないだろう。何故なら、旧習の保守思想は、専業主婦を前提としているから、そうでなくなるのであれば、夫は、完全に新しい意識を用意しなければ、妻との関係に齟齬が生じるだろう。


妻が働かず、専業主婦であるならば、夫は、(当たり前かも知れないが)一生食わせていくという決意と、離婚しないという決心が必要だろう。
理由は、妻は、夫を信頼し、稼ぐ役目としての経済活動の担当を夫に全面委任しているのだから。
妻の意識の在り方は、結婚したから、これで安心という訳でなく、鼓舞し、なだめすかしながら、夫の経済活動を応援し、また、夫に離婚を切り出させない工夫も必要だろう。


しかし、それでも、夫が短気の場合などで、離婚してしまう場合もあるだろうし、
DV発生事案などであれば、妻の保護のために、離婚を選択する方が良い場合もあるので、制度として、離婚が認められているのは、人権上、妥当だろう。


女性の社会進出が、(本人や、夫婦や、子供や、社会全体)にとって良いのか、悪いのかというよりも、女性の社会進出が進んでも、問題のない世の中にすることが、大切なのだろう。(無難な言い方でまとめてしまった)


では、話が遡るが、普通の結婚をした場合、経済的に見て、「得」か「損」かという問題についての答えは、そもそも論だが、普通の結婚をした場合に於いては、「得」か「損」かなどの経済的視点で見るものではない という考えに至り、計算するのを止めた。
普通の結婚の場合の重要ポイントは、いかにお互いと家族が、幸せでいられるか。いられるように努力するかということに集約されるのであって、「お金を残す」という問題は、妻から節約するというよりも、いかに、外で稼ぐか。ということを考える方が、生産的である。勿論、妻は、贅沢をし過ぎず、倹約に努めるべき所は、励行するに如かずである。


ただ、「逃げ恥」のドラマ上では、「契約結婚」進行中の中、恋愛が発生し、契約上は、SEXをしない契約なのに、至ったようだ。
その場合、頻度は、とりあえず、おいておいたとして、
男性の面から言うと、SEXなしの条件下でも、メリットありなのに、更に、下世話だが(おそらく無料で)好みの相手とSEXできる状態というのは、実は、「状態」だけで言うと、一番好条件の状態だったのではないか(笑)。と思う。
しかし、やはり、(人は、性善説に立脚する生き物なのか、更に欲深いのか)平匡は、正式な結婚の申し出をしてしまう(笑)。  甘い!甘すぎる!!(冗談です)


①についてが、かなり長くなってしまいました。



②について。キャスト。
新垣結衣さんが、可愛い過ぎる。これに尽きる。
以前、CMで、ポッキーや、メルティーキッスに出演していた時も、目を引いたが、今回のドラマは、ドラマの為、会話の流れがよりあるので、魅力が増大した。
去年、糖尿病で入院した際に、同じ入院患者のひげ面の中年男性が、あっ今日、日曜日や、「掟上今日子の備忘録」観な。実はファンやねん。と、言っていたのを陰ながら、このおっさん、ええ人やけど、何言うてるねん、キモイな。と、(この時は、掟上今日子のドラマの存在は知っていたが、観ていなかった)思っていたのだが、「逃げ恥」の第一話を観た瞬間、あら~、なんやこれ、AVやがな。と正直、思った。
(表現が変だが)AV並みに、これは、男性が観たら興奮するな~。という意味である。
それほど、容姿としぐさと、間と台詞が、出来上がっていたと思う。


③逃げ恥、恋ダンス(ブランディング戦略・一体感)小学校の教育プログラム
言わずもがなの恋ダンス。ブランディングの一翼も担い、また、キャスト全員が音楽に合わせて踊ることによって、一体感も演出されていて、楽しい。
また、最近は、小学校の教育プログラムにも、「ダンス」が採用されているらしく、子供受けも良い。PPAPに代表されるように、リズム性を伴ったエンターテインメントは、ネット社会の流行において、確固たるシェアを築いているようだ。


④従来の常識を超えた、一生懸命さ(NHK真田丸の主題歌・安住紳一郎の恋ダンス・乙葉登場等)
最終回には、ドラマの本編上にて、今年のNHK大河である真田丸の主題歌が流れたり、藤井隆のリアル妻の乙葉が登場したり、東京フレンドパークのパロディが放送された。
何回か前の放送でも、開運!なんでも鑑定団(テレビ東京)の、お宝の真贋を調査するシーンのパロディが放送されたし、TBS系「ぴったんこカン・カン」のコラボ企画で、安住紳一郎と、石田ゆり子の「恋ダンス」がエンディングで放送された。
これは、各々、他の放送局の協力があってこその事だと思慮されるが、スタッフの、可能な限り、従来の常識を超えた事でも、視聴者に楽しんで貰えるならば、チャレンジしようという前向きの考え・幅広い行動が形になったものだと思われる。


⑤少数派に対する様々な気遣い(リストラ・結婚式・ゲイ・入籍の有無)


ドラマの中盤位に、平匡が勤める会社内で、リストラの話が持ちあがる。その際、リストラをされる方は当然、苦しむことになるが、リストラをする方(ドラマでは、古田新太の役どころ)も精神的に苦しみ、胃潰瘍になるシーンが描かれたり、最終回で、みくりと平匡が、挙式をするかもというシーンでは、みくりの花嫁姿(ウエディング姿)が観られたが、すごく短い時間(数秒)のシーンに留め置かれた。これは、視聴者の中に、挙式をしなかった夫婦(カップル)が存在していることを気遣っての配慮だと思われる。
また、先の古田新太の役どころの者と、 成田 凌の 役どころの者がゲイというのも、「結婚」がテーマのこのドラマにおいて、社会的少数派のゲイの者も存在し、社会の一員として立派に仕事もし、カミングアウトをしずらい世の中でも、マイペースでの自己主張をしながら、社会に溶け込み、社会の側も、受け入れるべきというメッセージがあるように受け止めた。
そして、最終回では、「これから、どうする?」というみくりの問いに対し、平匡は、籍を入れても、入れなくても、どちらでも良い。それよりも重要なことは、夫婦それぞれが、お互いを尊重しながら、将来起こる問題に対処すべきだと言う。
ライフスタイルの変更も余儀なくされることはあっても、独りで生きるよりは、(面倒なことは、独りで生活しても避けることは出来ないなら)二人で協力してやって行こうと指針を示す。
この、2人の本質的な将来の行く先を示すシーンにおいても、未入籍の夫婦に対しての気遣い、また、安易に入籍をして、ハッピーエンドとなるドラマが多い中、入籍も意味があることだが、それよりも、入籍の有無にかかわらず、二人次第によって、環境が変わっても、二人の関係の好調を維持することが出来るし、そうすることがより重要だと伝えている。


⑥若い男女が持つ、「若さ」という価値観の過剰さに対する警鐘 伝統的諭し(行く道)


アラフィフのキャリアウーマンの石田ゆり子が、内田理央が演じる若い女性に対し、「若さ」は確かに、貴重な武器であり、その価値はゆるぎないものであるけれど、過剰さが過ぎれば、その考え方は、将来、ブーメランのように、自らのところに戻ってきて、自分を苦しめるよ。と諭す。
これは、「子供叱るな 来た道だもの  老人笑うな 行く道だもの」という名言集にある一節である。
ドラマ中、この、過剰すぎる「若さ」へのこだわりを持って、目上の石田ゆり子を攻撃しようとする娘に対し、石田ゆり子は、上記の言葉を使い、彼女の攻撃を受け止めつつ、人は誰しも年を取るという真理を持って切り返し、更に、その過剰すぎる「若さ」へのこだわりをすぐに捨てなければ、将来あなたに呪いが降りかかるという、恐ろしい暗示(人生の先輩として、若い彼女のための本心からの愛情)を持って強く諭す。
若い彼女は、ぐーの音も出ない表情でシーンは終わるが、ドラマ制作者のメッセージは、どこにあるのか?


まず、今後、更に高齢社会となり、女性の社会進出も進む。そうなると、今以上に、ミドルや、ミドル以上の女性たちと、若い女性がともに働くことになる。
小生は男性なので、よくはわからないが、男性社会以上に、女性社会は、やりにくいかも知れない。その時に、「若さ」なんていう、一過性の幻のような価値観で、人を判断したり、優越感を感じていたりすると、大切なものを失うよ。
「若さ」は、あなたが特別だから付与された代物でもなければ、努力して手に入れたものでもない、光り輝く幻なのだから、それは、美しいと思うことは、勝手だけれど、それに依存せず、もっと確かな物(努力して手に入れたものや、普遍的なもの)を求めた方が賢明ですよ。というメッセージだったのではないだろうか。


⑦結婚に関しての父母の関与のあり方(逃げ道は、あり)


ドラマ上だから、かも知れませんが、まず、平匡の両親は、ほとんど登場しないし、(両家の顔合わせの時ぐらいだったと思う)
みくりのご両親も、田舎に転居されて、あまり、新婚生活に介入しない。
だが一度、みくりが平匡とすれ違った時に、帰省した折りに、みくりの母は、「夫婦は、努力して、夫婦としてならしめているのよ。」と話す。そして、いつでも、帰りたくなったら、帰ってきていいのよ。と付け加える。


もしかしたら、この対応も「親のあるべき姿の一つのケースである。」という気がする。


⑧心の中の台詞の上手な使用方法 (心を閉ざしたら、ノックし続ける)


ドラマの中で、何度も(みくりと平匡の心中表現の時だけ)、彼ら仮面夫婦の心中が吐露される。
これは、他にもあるかも知れないが、まま珍しいと思われる。
「狂言」などでも、見られるかも知れないが、わかりやすい。
実際の社会生活でも、人は誰でも(大人は)、思ったことを全て口に出す訳ではない。(当然だ。)だから、口に出すこととは、別に、心中に思いが存在する。
それを、ドラマ中、詳らかにすることは、主要登場人物の微妙な機微を表現する上で、(心の機微を読めない人でも、わかり良いという点で)文明的ではないが、逆に、多数の者の理解を深めたという功績はある。


人の心は複雑だ。小さな幼児でさえ、天邪鬼になって、思いと反対のことをしたりする。
例えば、人の気をひくために、あえて変顔をしたりする。
それが、大人になれば、プライドが出てきたり、わがままになったり、虚栄心が出たりもする。また、親切心も出たり、打算が出たり、純粋な愛情もある。


タイミングや波長が合わないことがあっても、相手(パートナーや、子供)が心を閉ざした時には、ノックし続けてやることが、一つの愛情表現だということも描かれている。



⑨火曜日のハグ  (当然起こりうる、些細な喧嘩をした時の保険)


説明文のメモの通りなのだが、小さな取り決めが、案外、結構な重要ポイントであったり、救いになったりする。
緊張と緩和と言われるように、喧嘩をした時は、人間も動物なので、犬のように神経が逆立っている。
故に、取り決めだから、仕方なくするという大義名分を持って、プライドを排除し、ハグをすることによって、「緊張」を緩和させるテクニック。
PCの定期的な再起動のようなものだろうか。
「初心」忘れるべからず。とは、使い古された言葉だが、それほど、幾千年にも渡って言われ続けているということは、人間とは、「初心」を忘れてしまう動物だということ。と同時に、やはり、「初心」は重要だということの証左であろう。
「定期的なハグ」の重要ポイントは、形骸化したとしても、継続しつづけることだろう。
意味ないと思っている内は、本来の効果は発揮しないが、いつか、本当に必要だという日が来るかも知れないし、形骸化の中でも、ハグをし続けることによって、色々な発見も見えてくるかも知れない。


⑩「小賢しさ」への対処 (小賢しくなって当り前の現代と、相手へのリスペクト)


ドラマ中、みくりは自分を卑下して、「私は小賢しい。」というが、まさに、現代を表す一つの言葉だなぁと思う。それは、「小賢しい」をデジタル大辞泉で引くと、「利口ぶっていて差し出がましい。生意気である」。という意味が表示される。
利口か、利口でないかの判断は、絶対的利口や、相対的利口の切り口もあるし、ここでは、どれだけ利口かという問題は、問題ではなく、まず、利口ぶる。というところを解剖すると、「利口」かどうかは、判断つかないが、利口のように振る舞う。ということである。では、利口のように振る舞うことは、善か、悪かといえば、どちらとも言えないし、あなたや、私が利口のように振る舞ったことがあるか?と問われれば、相当の割合の人がある。と答えるでしょう。
それが、普通だと思います。
次に、「差し出がましい。」これを、また辞書で調べると、
本来は、「でしゃばるような」・「お節介なような」という意味の形容詞です。 ただし、現在では単に「でしゃばりな」・「お節介な」という意味でも使われます。とある。


「でしゃばりな。」という意味と、「お節介な」という意味が同じであれば、今回は、「お節介な」という表現の方が分かり易く思いますので、そちらで話を進めたく思います。「お節介な」とは、つまり、余計なお世話を焼く、過剰な親切と言い換えることが出来ると思います。
つまり、ここまでで言うと、普通の人が一般的にするように、利口のように振る舞い、また、大変な親切心の持ち主ということができます。そして、「生意気である。」が出て参りました。これを、辞書で引くと、自分の年齢や能力を考えず、出すぎた言動をすること。また、そのさま。「生意気な口をきく」とあります。


つなげると、「小賢しい人」とは、普通の人が一般的にするように、利口のように振る舞い、また、大変な親切心の持ち主であり、自分の年齢や能力を考えず、出すぎた言動をする人のこと。となります。
これは、「欠点」といえば、欠点といえなくもありませんが、「現代」は自己主張しなければ、安全や、利益が守られない世の中である。という時代背景もあります。
まあ、昔は、自己主張をすることさえ、(直訴をすれば死罪の例の様に)限られた人だけの特権でしたが、今は、良くなったとはいえ、「行政サービス」でも「民間企業でも、たとえば、保険会社や、携帯電話会社など」でも、自己主張、問題提起をこちら側からしない限り、はっきり言って、「損」をするような不公平な時代です。


そういう上記のような理由において、現代人は、「小賢しく」なければ、強く生きていけないし、言葉の表現は、そういう表現で形容したとしても、内実は、特別に奇異な人物に対して使うような表現ではなく、至って普通の人を指しても使えるという意味において⑩冒頭の、まさに、現代を表す一つの言葉だなぁと思う。と小生、申し上げたのです。


それで、恐らく、ドラマ制作者も、「小賢しい人」という表現が、現代を表す言葉だと思ったのでしょう、そこで、キーワードとして、最終回に、可愛いみくりの口をして、「私は小賢しい」と言わしめます。
ここでは、この現代を代表する、美しく若いみくりが、実際に「小賢しい女」であると、受容しなければ、実は、話の本質に辿りつけないと考えます。

みくりは、何故、路上で、「ありがとう」と言って、平匡を抱きしめたのか。
それは、みくりが、「状態」として、「小賢しく」なかった訳ではなく、また、過去の交際した男性の心得違いや、勘違いで、「小賢しい」と表現したのに、平匡が、あなたは(みくりさんは)小賢しくないと言ってくれたからではなく、現代の写し鏡である、若き現代女性のみくりは、まごうことなき、自他ともに認める、(状態)としての「小賢しき娘」であり、それであっても、平匡は、【僕は、「小賢しい」というのは、上から目線で、相手を下に観た時の物の言い方でしょ。僕は、みくりさんを上から目線で(下に)見たことはありませんよ)=「小賢しいと思ったことは、ありません。」】と伝える。


それは、派遣社員の立場の者へでも、家事を仕事として請け負う立場の者へでも、雇用者から、被雇用者に対して向けるまなざしに於いても、絶対的に、同じ平等・水平の目線で見て、物を言うべきであり、そう体現する平匡に対して、同様の思いを持つみくりの心中に、共感と感謝と尊敬の気持ちが生まれたから、「大好き」と表現し、万座の中、平匡を抱きしめたのだと思う。格差・差別・偏見の無い社会への願い。が、メッセージとして包含されていたのではないだろうか。




⑪「好きの搾取」への警鐘 (当たり前さ・自分は消費されず、相手を消費する考え方。対極に感謝)


ドラマ上では、「好きの搾取」という表現を使っていましたが、相手の好きという気持ちにつけ込み、黙っていたら、どんどん無言の「して当り前」の要求が高まることを指す。と解釈しました。


「搾取」を辞書で調べると、不当な利益を搾り取るなどの行為をさす。労働の成果を無償で取得すること。とあります。
要するに、正当な方法によらず、不当な方法によって、相手から「利益」や「成果」を得ることであり、これは、道徳上(社会通念上)も、厳密には、法律上も、社会規範に反するので、いけないことだと思います。


例えば、特に結婚以前の状態においては、(法律的に権利保護されていないので)
好きという感情が、本来あるはずの防護壁を弱め、相手側が、そこに(意識的・無意識的を問わず)デリカシーなく、モラルなく入ってきた場合、傷つけられたり、また、現状回復したい気持ちはあっても、関係を悪化させたくないという気持ちもあるため、言い出せない場合がある。
搾取する方が、意識的に、している場合は、これは、即「悪」であり、問題は、無意識的に搾取している場合である。
このケースは(判断が微妙だが)案外多いのではないかと思う。
そういう世間に対して、ドラマを通じ、それは、「好きの搾取ですよ!」アナタ、好きの搾取をしていませんか? されてませんか? 確認してください!と言っているように聞こえた。
搾取される方は、親切な人であったり、お人良しの人であったり、お金持ちのケースが多かったりする。
「好き」という気持ちは、寛容性を生む。それは自然だが、同時に警戒感が弱まったり、調子に乗せ過ぎたり、礼を失ったりする。そこで、「交際」するにしても最低限のマナーがあるんじゃないですか?「マナーを超えていませんか?」「大丈夫ですか?」という、制作者側の親切心の提供だと思う。
こういう、啓蒙活動も、社会をより改善したり円滑にしていくためには、必要だろう。

こんなことを言わなければ、ならない程の現代に、なってしまっているのかと思う。


それは、例えば、流行りの「婚活」のシーンにおいてもよく見られるのではないか。
「食い逃げ」「やり逃げ」などの言葉がある。
小生も、「頭をかしげる」経験をしたこともあった。
そもそも、日本人は無償奉仕の精神や、ボランティア精神が豊富だと思うが、このドラマの底流に流れている考え方のひとつに、「なんでも無料だと思うな」という考え方があるように思う。その考え方の方が、精神的に清潔だと感じる。
「タダほど、怖いものはない」というのは、初めは、無料だが、後から、その分を含めて支払わされるという意味もあると思うが、本質は、「タダを追求する精神は、いずれ己を浸食する」ので怖い。と言っているかも知れない。
本来、タダのものなどなく、誰かが(労働や金銭等を)絶対に負担しているのである。
仮に、タダで提供を受けたら、その気持ちに感謝し、いずれ、提供者か、社会に対して、恩返しするのが、本来の在り方だろう。
循環経済のように、感謝の循環、まごころの循環が、綺麗な姿と信じる。
それを、タダでの提供が当たり前という認識になると、「恩返し」という概念と、美徳が失われる。
もしかしたら、それを見越してドラマ制作者は、「好きの搾取」をするな。好きから生まれるサービスや、物品や金品の提供を受けたら、感謝し、これは、前渡しであって、借りている状態だ。いつかは、返さないといけないと思うことが、成長に繋がったり、感謝・謙譲の精神につながると考えたのではないか。


勿論、親や、家族は、後で返してほしいなどという打算めいた思考はないだろう。
提供することに、喜びを感じ、義務と責任も同時に感じているのだから。

【締め】
「逃げるは恥じだが役に立つ」のタイトルが意味するところ。
「役に立つ」 という言葉を言い換えると、有効です。という意味にもなる。
つまり、「逃げる」という行為は、「恥ずかしい」という感情を想起させるが、時には、有効な一手となり得る ということを、端的に表現している。
また、「逃げる」という行為は、一種の「抵抗」の表現でもある。
では、何から「逃げたり」・「抵抗したり」しているのか。


小生は、従来の「結婚」の在り方や、常識観からの逃避。社会に対してや男性に対しての抵抗ではないかと感じた。実際の現実生活では、やはり、ドラマのようにはいかない部分も当然あるが、「抵抗」することや、「抵抗」したことによって、関係者が一旦、立ち止まり、その事を考えるきっかけになるそこで、「効果」が発生し、状況に変化が生まれ、「逃げた・抵抗した」ことが、「役に立つ」ということになる。


そして、最後に、
未知の将来に起こりうる、全ての事柄に対しての処方箋を示している。


最終回では、子だくさんのケースや、平匡が専業主夫になった場合のケースなどが放送されたが、どのような事態が出来しても、相手をリスペクトしつつ、「絆」を大切にしながら(ノックし続けることを忘れず)、2人で模索しながら、ライフスタイルの変更をしても、話し合いで解決策を見出していくことを提案している。
そうすれば、幾分かは、「離婚」が「社会問題」が減るのではないかと、言っているのではないか。そんな風に応援しているように感じて、観て、役に立ったドラマだった。